1972年のアル・スチュワート
最近、どこがってほど具体的ではなく、なんだか弱っていて、映像を長い時間集中して愉しむことができない。観たい映画やドラマがNetflixやAmazon Primeにいっぱいあるんですけどね。
昨晩、地上波で「パラサイト」と吹き替えで放送していて、全編通して観られたのだけど、あれは字幕を追う必要がないのと、なによりも、何が起こるか予め分かっていたからだろう。つまり、あまり脳みそを使わない済んだからだ。
そうなると、原稿書きにも支障が出るはずだったのだけど、不幸中の幸い(いや不幸でしかない)発注を受けていた原稿のネタが思っていたのと違っていた。担当さんに確認するまでのなく、2本分が没だ(涙)。
年が明けて10日以上経つっていうのに、まだ原稿書きのエンジンが本格的にかかっていない。今朝はJR久留米駅に近い方の日吉神社さんに行って、十日恵美須祭りで商売繁盛を願ってきたけど、どうなることやら……
そういえば、COVID-19の影響で縁起物の餅まきは中止になっていたし、記帳する台もなかった。すべては感染拡大防止のためだ。
夕方、大相撲1月場所の初日をテレビ観戦して、感染者が出たせいで(鶴竜を除く)16人も関取が休場している、スカスカな電光掲示板に悲しくなる。力士たちも協会の方たちも必死だ。なんとか千秋楽を迎えられますように。
晩飯後、テレビを見る気も起こらず、自室で図書館から借りた本を読みながら、AppleMusicでアル・スチュワートの1972年のアルバム「Orange」を聴く。
下北沢で何度も聴いていたアルバム「Year of the Cat」が1993年のリリースで、それ以前の作品にはあまり触れてこなかった。デビューが1967年だから、かなり聴き逃していた期間があるわけだ。
んで、「Orange」を聴いてみると、聞き慣れたアル・スチュワートの歌声だ。「Year of the Cat」より20年以上前だなんて、鈍感な僕の耳では、言われなきゃわからない。
ただ言えることは、20年前の作品よりも優しいということ。「Year of the Cat」だって優しい歌声なんだけど、さらに優しい。それは食い足りない、物足りないってことかもしれないけど、こんな冷えこんだ夜にはちょどいい。ましてや、ちょいと弱っている僕には。