初晦日なんて言葉があったんですね

今日は1月の末日で初晦日。『きごさい歳時記』というサイトによると、新潟県十日町地方では大晦日に年越し蕎麦を食べず、この日に食べる。また、岩手・宮城県地方では蔦の正月といって、神前や門口に蔦を飾る風習があるそうな。
年明けしてから、アッという間だったような気がする。業務日誌を振り返ってみると、たいして働いてないんですけどね(涙)。


寝ているうちに編プロから素材が届いていたので、朝から紙媒体の仕事。合間にスーパー「マルキョウ」へ行き、特売のミネラルウォーターと缶詰類を購入。
明日も発注があるから忙しくなるなあ、なんて思っていたら、担当のMさんから「これにて終了」ですというメールが来て、肩透かしを食らう。その代わり、ニュースサイトの作業をザクザクと進めておきましょうかね。
というのも、どうも老母の体調がイマイチらしいので、泊りがけで様子を見に行きたいってのがあって、なるべく作業のスケジュールを前倒ししておきたい。あと、来週は東京から友人が博多までやって来るっていう、お愉しみに待っていますしね。


TwitterのTLで訃報を知った。立ち会いで見せる鬼神のような表情が好きだった。最初は相撲での訪日ではなく、農業を学ぶために東農大に留学されていたんだよな。それで、白鵬よりも歳上なのに、初土俵は彼よりも後だった。
また寂しくなってしまった。あまりに早すぎる。

元小結時天空の間垣親方が悪性リンパ腫で死去37歳(日刊スポーツ)
日本相撲協会は31日、元小結時天空間垣親方(本名・時天空慶晃=ときてんくう・よしあき)が同日午前1時12分に悪性リンパ腫のため東京都内の病院で死去したと発表した。37歳だった。
間垣親方は現役だった2016年1月に悪性リンパ腫の治療で入院していることを公表。15年7月ごろから右脇腹に痛みが発生し、同10月から抗がん剤治療に取り組んでいた。土俵への復帰を目指していたが、5場所連続全休の末、36歳だった16年8月に引退を発表し、年寄「間垣」を襲名した。
引退会見時には抗がん剤治療を終え、腫瘍が小さくなったことを明言。時津風部屋の部屋付き親方として「若い人を指導しながら、ともに成長したい」と今後について話していた。その後は親方の業務をこなしていたが、昨年11月の九州場所から休場し、治療に専念していた。
部屋の力士には30日夕方に病状の悪化が伝えられていた。遺体は31日午前3時ごろ、東京・墨田区時津風部屋に戻った。
通夜は2月6日午後5時、告別式は同7日午前11時半から、いずれも東京・墨田区の回向院念仏堂で営まれる。喪主は父ジグメド・アルタンガダスさん。