寂しさを克服するために孤独を選ぶという人生の冒険、映画『奇跡の2000マイル』を観て感じたことなど

ニュースサイトの発注のネタが代わったので、取り急ぎの締め切りがなく、念入りにストレッチとチューブトレーニングをしたあと、ゆるっと記事の資料整理とスケジュールの再チェック。

昼飯後、WOWOWで録画しといた映画『奇跡の2000マイル』を観る。オーストラリアの砂漠地帯横断を達成したロビン・デヴィッドソンさんのの回顧録『TRACKS(乗り物のトラックではなく”轍”の意です)』を映画化したもの。主演はミア・ワシコウスカという細身でチャーミングな俳優さんで、よくもまあ、こんな過酷なロケに挑戦したもんだと頭が下がる。
主人公のロビンは愛犬のラブラドール・ディギティと4頭のラクダを連れて、オーストラリアの砂漠地帯を踏破するのだけど、正直言って、何故、彼女がこんな過酷な冒険に立ち向かおうとしたのか、共感できる動機が表現されていない、もしくは僕には感じ取ることができなかった。
幼くして母を亡くし、愛犬を父の手によって安楽死させられてしまったトラウマ。それをイメージさせるような回想シーンは何度も挿入されている。でも、それでこんなことを? っていう疑問は拭えない。
でも、彼女にはソレがあったのだろう。どうやら、現状に納得でいないと、手放すこと、変化することを、軽やかに行動してしまう人みたいだし。あと、彼女がずっと寂しかったのはわかるし、それを乗り越えようとしていたのでは、とは想像した。一番の理由はロビンさんが冒険好きだったってことなんでしょうけど。
そして、本編の冒険だ。厳しい自然によって失うものと得たこと。そこに暮らす先住民のアボリジニたちとの交流。さらに、時間に取り残されたように、砂漠の一角で暮らす老夫婦との癒やしの出会い。その全てに人生についての隠喩が仕込まれているうように見える。
たとえば、砂漠を歩きながら目覚まし時計やコンパスをポロリと落っことしてしまう。これは、生きていると、ときに陥ってしまう"自我の喪失”の比喩としての、時間と方位の喪失なのかもしれない。
人生といえば、それに欠かせないパーツとして出てくる、主人公の愛犬・ディギティの存在が大きい。いや、この映画はむしろ犬の映画だし(ちょいと言い過ぎです)、後半まで観ていられたのは、ディギティがいたかもしれない。
「なんだ、自分探しの映画か」と言い捨ててしまえる映画かもしれないが、オーストラリアの厳しい自然と犬のおかげで、僕は最後まで愉しむことができましたよ。あと、ラクダたちもね。