星が星になってしまった日

鏡開きした鏡餅を小分けしてオーブントースターで焼き、実家から分けてもらってきた餡を使ってぜんざいを作って食べた。これで、年明けっぽいイベントはほぼ終わりかな。久留米生活の新しい一年が本格的に始まったんですねえ。

昼飯後、石橋文化センターへ散歩。暖冬のせいか、蝋梅がほぼ満開で、紅梅もチラと開花していた。おまけにツツジまでかなりフライング気味に咲いていて、葉が落ちて寂しい枝の先で居心地悪そう。

ついでに図書館に寄って、上原善広さんの新書などを借りる。受付の男性に「利用者同士が読み終わった本を譲り合えるコーナーはないんですか」と訊いてみたら、コチラではやっていないとのこと。世田谷区の図書館では、必ず入り口のところに簡易な本棚があって、「よかったらどうぞ」なんて、読み終わった文庫本などを持って行ってたんですけどね。近くにブックオフがないから、なおさら、あったらいいなーって思うんですけど、どうなのかな。


15時45分ころ、TwitterのTLにデビット・ボウイが亡くなったというニュースが流れる。FBの公認アカウントがハックされたじゃないかとか、信じることができなかったのだが、公式サイトでも訃報がアップされていて、彼が逝ってしまったことが現実になってしまった。

デビット・ボウイとの出会いは、たぶん中学2年生頃だったと思う。従兄弟の兄ちゃんに「この曲の詩が面白いんだよ」と教えられて聴いたのが、アルバム『ジギー・スターダスト』の1曲目『Five Years』だった。
“世界があと5年で滅亡するとしたら……”っていうSFみたいな問いかけと、世界を愛しく見つめる言葉に惹かれた。

「Five years」
市場を通り過ぎると、たくさんの母親たちの嘆く声
ちょうどニュースが出たところだ 
僕たちには5年間、嘆き悲しむ猶予がある
ニュースキャスターは泣いて言う、世界は本当に終わろうとしている
ずいぶん泣いたので彼の顔は濡れ、嘘ではないのだと分かる


僕は電話の声を、オペラを、大好きなメロディーを聴いた
少年達を、おもちゃを、アイロンを、テレビを見た
頭はガレージのように悲鳴を上げる、もうしまう場所がないのだ
それで無理してでも詰め込まなきゃならなかった
全ての太った/痩せた人を、全ての背の高い/低い人を、
全ての名もなき人を、全ての名のある人を、
これほど大事に思う日が来るとは思わなかった


僕と同じくらいの歳の女の子が、気がふれて小さい子どもらを殴りつけた
黒人が彼女を引き離さなかったら、彼女はその子らを殴り殺したかも
腕の折れた兵士がキャデラックのタイヤをじっと見つめた
警官が坊主の足下にひざまずいてキスし、それを見たゲイが吐いた


君をアイスクリームパーラーで見た気がする
冷たいたっぷりのミルクシェーキを飲んでるところを
笑いながら手を振り、まるで平気なように見えた
この歌に歌われてるなんて、君は思いもしないだろう


それは寒い雨の降る日のことで、僕は俳優にでもなった気分だ
僕はママのことを思った あそこへ戻りたかった
君の顔、君の過去、君の話し方
キスしよう、君はきれいだ、歩いて行って欲しい


僕らには後5年間、
5年間、信じられないことだ
僕らには後5年間、頭がひどく痛む
5年間、それが残された全て

Five years……

今、51歳のオッサンになっても、この詩を読み返すと胸が締め付けられる。たぶん、こうやって全部通して読んだのは30年ぶりくらいだけど。ほんの小さな石ころみたいだけど、あの、中学生の頃の僕と変わらないトコロが、今の自分に残っていたみたいだ。
僕はデビット・ボウイを通して、世界を見つめる「Heart」を知った。そして、中学、高校、大学と、冴えない青春時代を送ったけど、彼の曲に背筋を伸ばしてもらったこともあったし、投げやりにならず足を踏みしめ立つことができた。
デビット・ボウイはずっとずっと僕の「Hero」だったんだ。
ありがとう、そして、グッド・バイ。