言葉のやりとりの必要

夜明け前から雨。台風6号の影響みたいだけど、風は強くない。ニュースサイトの原稿を書く前に、請求書的なデータを整理して、メールに添付して編プロに送信。原稿料の振り込みが毎月じゃなくて、何か月分かまとめてなのは、なんとかなりませんかと重ねてお願いする。


晩飯後、飲みに出る。いつもの角打ちでカープの敗退を確認。ソフトバンク戦が雨で休止だったので、店主が気を利かせてチャンネルを変えてくれたんだけど、他の客は事情を知らないので、どうして巨人と広島の試合を観てるんだろって不思議に思ってるかもな。なんだか申し訳ない。
ちょいと勢いがついたので、もう1軒の角打ちにも行ってみたけど、変な具合に他のお客さんに話しかけてしまい、お邪魔したようでバツが悪くなる。
気を取り直してもう1軒、深夜まで営業している食堂で飲んだのだけど、ちょいと記憶があやふや。気さくな老婦人2人と話したことは覚えているけど、締めになにかを食べたような気がするけど、さて……。


んで、この日誌は翌朝書いているわけなんですが、酔いが冷めて、つらつらと思いを巡らせているうちに、飲みに出ると最後にどうもモヤモヤした気持ちになってしまう理由がようやく分かった。たぶん、ちゃあんとした会話、言葉のやりとりができていないせいだ。下北沢へ酒を飲みに出るのは、くだらない話でも、趣味の話でも、町の面白話でも、愚痴でも、駄洒落でも、フンフンとニヤニヤとやり取りができたからだ。アレが欠乏してるかなあ。
まあ、今の環境ではしょうがないことなんですけどね。これからも、穴を埋めることができるか分かりませんけどね。でも、モヤモヤの素がなんとなくだけど、分かっただけでも気持ちが楽になったような気がする。


そんなわけで、くだらない話ができる相手がいるってのは、とっても素敵なことなんですよ、うん。