それぞれの真実を語ること、聴くこと、

午前中はニュースサイトの素材集め、昼飯食べてから原稿を仕上げて納品。そんで、次の原稿用の素材について考える。
昼飯は歩いていけるチェーン系の飲食店へ行ってみた。バイト探しするにあたり、働くって視線でお店を見てみたかったから。オープンキッチンになっているから、各店員がなにをしているか見られて興味深かった。ジロジロ見るとアレなんで、食事しながらチラ見してたのだけど、誰もボンヤリすることなく動いていて、ちゃあんとシステム化されてるんだなあと関心した。そこに自分が立つとどうなるのか、想像してみたけど、無駄な動きしてそうで頭が痛くなった。


作業の合間にDMMで借りてた、サラ・ポーリーが監督したドキュメンタリー作品『物語る私たち』を観た。
どこまで書くとネタバレになるのか分からないので、手抜きして作品の公式サイトから以下、引用。

サラ・ポーリーの母)ダイアンが愛する夫と5人の子どもたちを残し、若くして亡くなったとき、末っ子のサラはまだ11歳。兄姉たちは言った。「サラだけがパパに似てない」。それは、ポーリー家のおきまりのジョーク。でもサラは、ほんの少し不安になる。本当のパパはパパじゃないのかもしれない。いつしかサラは、ママの人生を探りだす。その時みんなの口からあふれ出したのは、サラの知らない母・ダイアンの秘密の恋だった―。

妻であり、母であり、女であった、ダイアンという女性について、家族や友人など関係者が物語る作品なんだけど、物語る人々には、それぞれの語り方があって、真実がある。ある人は真実はひとつであるべきだと主張するけど、ダイアンの夫であり、サラの(育ての)父、マイケルの言うとおり、真実はあやふやものなんだろうな。だから語るのであり、聴き続けるのであり、感じ考えるのだから。

あと、半端に嘘をつくと最後のオチに使われてしまってカッコ悪いことになるってことを思い知った。


物語る私たち [DVD]

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