ノスタルジーの中で浮かぶ現在の痛みと、行き当たりばったりな生き方への救いを感じる映画「リコリス・ピザ」

洗濯やスーパーへの買い物などの雑務を済ませ、奥さまと西鉄に乗って天神へ。大名のタイ料理店で昼飯を食べ、雑貨屋や家具店を覗き、kino cinéma天神でポール・トーマス・アンダーソン監督の新作「リコリス・ピザ」を観る。

舞台は1973年。山っ気というか、商売への意欲が人一倍な、子役として活躍していた15歳の高校生ゲイリーと、厳格なユダヤ教徒の家庭に育ち、息苦しい10代を過ごしていたであろう、カメラマンのアシスタントとして働く自称25歳のアラナの物語。

ゲイリーが一方的に惚れているのかと思ったら、彼のおかげで鬱屈した生活から抜け出し、自分の生き方を見つけ始めたアラナも、なんだかんだいっても気がある様子なのが、中途半端でもどかしい。

まあ、成長過程の男女なんてそんなもんで、ふとしたことで、別の異性に気がいったり、急に相手の顔を見るのも嫌になったりする。恋愛だけでなく、仕事や人間関係も行き当たりばったりで、まるで下手くそなピンボールみたい。

それでも、それぞれが懸命に走っている姿がシンクロし、めぐりめぐって向き合えるようになる。これからも勘違い、すれ違い、失敗があるだろうけど、それはそれ。エンドロールが流れ始めると、なんとかなるさ、なぁんて救われたような、温かい気持ちになっていた。

ちなみに、リコリスとは甘草とアニスのフレーバーを付けた、欧米の駄菓子のこと。ハリボーとか輸入菓子のグミの香りで、これがゲイリーとアラナの関係の隠喩なのだろう。

そして、「リコリス・ピザ」というのは、1970年代頃に南カリフォルニアで展開していた独立系レコード・ショップ・チェーンの名称だけど、劇中に出てくるわけではない。サウンドトラックとして、ニーナ・シモンの「ジュライ・ツリー」をはじめ、懐かしい名曲が20曲ちかく使われているのは、関係しているのかしらん。

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