大学病院の待合室で待っていると、病と老いの現実を思い知らされる

今日は朝から老母の大学病院通いの付き添い。8時ちょい過ぎに駅で待ち合わせして、バスで病院に向かい、受付して、検査や治療の順番を待ち、会計を済ませたら10時45分。

ほぼ、待つだけの役割りなのだけど、妙に疲れるのは、待合室で行き交う患者さんたちの姿に、自分がいずれ迎えるであろう、病や老いの姿を思い浮かべるからだろう。

生老病死は人として逃れられない四苦だ。その中でも、病と老いは生きているうちに体験するもので、実感を伴う。

独居老人になり、身体が衰えれば、なにかしらの病もついてくるだろう。それに、痴呆にでもなったら、他者に助けを求めることもできない。

そんな八方塞がりの自身の末期を考えると、いくら呑気な僕でも、気持ちが塞がり、気力を削られるってもんですが、彼らを反面教師にすることは可能だと思うので、なんとか健やかな生活を1日でも長く続けたいですね。