訃報

昼前、母から電話。3歳上の従兄が亡くなったという。正確に言えば、一軒家の自宅で孤独死。どうやら1年半くらい前に息絶え、ほぼ白骨化していたそうな。

僕が最後に会ったのは4年前。彼の部屋に上がって、音楽の話なんかした。部屋には古びた家具や電化製品が、時間が止まったように置かれていた。

世捨て人というわけではないけど、人付き合いをしている様子はなく、日用品の買い物以外は引きこもっていたようだ。3年前に伯父が亡くなってからは、なんの音沙汰も聞いていなかった。

ただ、盆暮れや彼岸など、お寺さんの叔父と叔母に供えられていたお茶や菓子が、いつの間にか途絶えていたのだけど、思い返してみれば、亡くなった頃と合致する。

死因は分からないが、孤独な死ではあったのだろう。息絶える前、いや、起き上がれなくなる前、どんなことを思ったのだろう。

立派な一軒家を建て直そうとしたところで、彼を愛した伯母が亡くなり、彼ら家族の孤立が始まった。何年後だったか、伯父が痴呆と鬱の合せ技の状態になり、ずいぶんとキツい思いもしたらしい。

それは、一軒家の中で起こっていて、外からは見えないこと。両隣は空き家だったらしく、住宅街の中なのに、ポツンと一軒家状態だった。

従兄との思い出は多い。僕が幼い頃から、一人っ子の彼の遊び相手として招かれていた。妹や弟が誕生して、親にかまってもらえない僕としては、兄のような存在だった。

特に中学に入った頃から、いろんな音楽を教えてもらい、洋楽はディープ・パープルから始まって、レッド・ツェッペリン、クィーン、ローリング・ストーンズデビッド・ボウイロキシー・ミュージックジョン・ライドン。邦楽では井上陽水からスターリンまで、幅広く知ることが出来たのは彼のおかげだ。

現在、音楽なしではいられない僕を構成しているのは、かなりの部分が彼の部屋で体験した音楽だろう。

悔やまれるのが弔いで、どういう経緯でそうなったのか分からないが、彼の骨は無縁仏扱いになったらしい。伯父と伯母が眠っているお寺さんがあるっていうのに。

血縁的に弔いは伯父側の家系の人が関わったのだろうけど、せめて、お寺さんに確認を入れてほしかった。分かって入れば、両親と一緒に眠らせることができたのに。悔やみきれない。

今度、実家に行くことがあったら、お寺さんに行って、叔父と叔母に彼が亡くなったことを報告しないといけない。なんてことだ、

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