御巣鷹山と麹町
35年前の今日、僕は麹町の日本テレビ(現在の旧社屋)の報道フロアで、ニューステロップの文字入力の学生アルバイトをしていた。
夏休みで帰省したバイト仲間の代わりに入った遅番のシフトで、夕方のニュースの放送を終えて、ノンビリしていたとき、時事通信から日航機がレーダーから消えたいう速報が入った。
放送フロアは慌ただしくなり、僕たちが速報のテロップを打ち込んでいると、小林完吾さんらキャスターも入ってきた。当時の夜のニュース番組『今日の出来事』を前倒しで出られたのかも。
その後、僕が任されたのは被害者の名前の入力で、最初はカタカナだった名前に漢字が入ってきて、それぞれの死がリアルになっていく。その中には坂本九さんの名前もあったはずだ。
急遽、シフトが遅番から早朝までの通しになり、夜中、差し入れでカツサンドなどが配られた。なんとも無邪気な話だけど、万世のカツを食べるのは、その時が初めてで、なんて柔らかくて美味いんだろうと、貧乏学生の僕は驚いた。
始発が走り出す頃にバイトを終え、明るくなった麹町から、下宿のある三宿に帰って寝た。目が覚めると、墜落したのは御巣鷹山で、奇跡的に生存者がいることを知った。
今日、東京は殺人的に暑かったらしい。あのときの麹町はそんなに暑かったかな? 風呂なしの六畳のアパートには扇風機しかなかったけど、暑くて寝苦しかった記憶はない。
そもそも、エアコンが欲しくなったは20代後半で、ようやく風呂付きアパートに住めるようになってからだ。あの新代田の部屋は西日がキツかったですからね。