老母の気分の浮き沈み、そして、我慢することについて

先日、誕生日祝いに行ったとき、ごきげんだった状態の反動とでも言えばいいのか、電話の向こうの母親の声が暗かった。

彼女によると、テレビのBSが急に映らなくなったようで、「B-CASカードがちゃんと差さっていない」みたいなアラートが画面に出るという。そこで、何度も差し直してみたけど、状況は変わらず、このまま壊れたままでいいか、と思ったそうな。

加齢性黄斑変性症を患ってから、テレビをあまり見なくなっているとはいえ、“愉しむ”ためのコンテンツを安易に手放すのは、心の余裕を失くしてしまいそうで心配だ。悲しくなったり、怒ったり、気分の浮き沈みの振り幅が大きな人ではあるけど、老いてからの気の沈みには、嫌な予感しかしない。


“不満”を無気力に受け入れてしまう。母だけでなく、福岡の人って、こういう心持ちの人が多いと感じることが多くて、“我慢”することで問題を解決しようとするんだよな。

母親の問題から、急に話が大きくなってしまうけど、生活の不満や疑問を投じない市民にはなるべきではない。クレーマーになれと言ってるわけではないことを前提として、世の中のシステムをアップデートするためには、声を上げなければいけない。疲れることだし、無駄なことに終わるかもしれないけど、“我慢”という名の思考停止をするのが一番怖いと思う。


本日の作業は、イレギュラー分を1本分、レギュラー分を1本分仕上げて納品。なんとか明日には遅れを取り戻して、帳尻を合わせたい。