神無き人が許しを請う時とは……映画『運び人』を観た

それぞれの人生に「悔い」があり、苦労をかけたり、迷惑をかけた罪を謝りたいと思う。直接許しを請うことができたら、その人にとって大きな救いになるだろう。

でも、人生はなかなか上手くいかない。それどころか、許しを請う存在や時間が膨大すぎて、どうやって贖罪していいものか、戸惑ってしまうこともあるだろう。

だから、人は神を必要とする。贖罪を求める時、神に語りかける。じゃあ、神を蔑ろにしてきた人、持ってこなかった人はどうする? 「悔い」の原野に放り出された子羊のように、メエメエと弱々しく泣きながら、命の火が消える時まで彷徨うしかないのだろうか。

生きるということは悲しい。「悔い」を積み重ねていき、いつの日か足元から崩れてしまい、大きな痛みに苛まれる。でも、そんな自身の過去という“(死んだ)時間”に寄り添うことはできる。自身を見つめ、観察し、ほんのちょっぴりでいいから、愛することができたら、ほのかなぬくもりのような救いがやって来る。


今日、奥さまとクリント・イーストウッドさん監督・主演の映画『運び人』(原題:The Mule)を観て、つらつらとこんなことを思った次第です。

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