不思議な映画に惑わされる愉しみ


スーパーの朝市で今週分の食材をまとめ買いしたら、奥さまと西鉄で天神へ。途中、うどんの「ウエスト」で昼飯を食べ、歩いてKBCシネマへ。ナ・ホンジン監督の作品で、國村隼さんが出演していることで日本でも話題になっている『哭声−コクソン−』を観る。
韓国映画って、どうにかしてる(褒めてます)作品が多いけど、これまた観終わったあと、頭の上にはてなマークがいくつも浮かんでそうな、オカルトでサスペンスでミステリーでした。いわゆる、悪いやつを成敗する、恨みを晴らす、復讐する、など、対立軸があって、そこから問題解決へとストーリーが展開するのではなく、孤立した山村の中で、ある問題が渦巻き、淀んでいく、って感じで、スッキリ感はないです。

冒頭に新約聖書の『マルコによる福音書』の一部がテロップで引用されるのだけど、実はこれが重要な鍵になっていて、後半、「そういうことだったのか!」と何度もヒザを打った。
映画のベースには、さらに韓国独特のシャーマニズムもあって、ゾンビ映画や韓国版『エクソシスト』かと思わせといて、「人」の罪をえぐり出していく。
分からないものへの恐れに陥った人が、今まで、いかに罪深い行いをしてきたか。クァク・ドウォンさんが演じる、主人公の田舎警官が体現していく。

映画の世界観を作り出している隠喩がいたるところに散りばめられていて、1回観ただけでは見逃しているかも。だから、冒頭のテロップはちゃあんと頭に入れておいた方がいい。

あと、韓国の悪魔祓いのシーンがあるんだけど、これがなかなか面白い。どうやら、実際の祈祷師の行為をかなり忠実に再現しているらしく、なるほど、霊への解釈が変わると、お祓い行為もこう変わるのかと見入ってしまった。

ネタバレになるかもしれないので、箇条書きで気になったポイントなど……
「見えない、理解できないものへの畏れ」「韓国語の同音異義語」「長い白い服の女」「石を投げるという行為」「鶏は何回鳴くか」「カメラ、そしてネガフイルム」「國村さんだけでなく祈祷師もふんどし」「ある車が走っている車線」「國村さんの手のひらの穴」「見習い司祭の最後の言葉」「救済」「復活」とかね