あれは2010年7月、W杯決勝後の眠たい月曜日だった
タオル類を洗濯して、空模様が不安定なので部屋干し。久留米駅へ歩いた時は青空が見えていたけど、西鉄の特急で柳川を通過するあたりで土砂降りになり、大牟田に着いたら蒸し暑い曇天だった。末弟から「車で迎えに行くから」とLINEが来たので、駅まで待ち、一緒に実家へ。妹が帰省していて、久しぶりに会った。父親の葬式以来だっけ?
今日は弟の命日。早いもので、もう6年経ってしまった。お坊さんのお経をあげてもらい、母と妹、末弟夫婦と食事。どうやら調理は僕がすることが定着しているらしく、母が用意していた食材を使って、酒のつまみのような料理を数品作った。
家族の話題は妹と末弟の子どもたちの話、そしてウチの奥さまの話、そういえば、主人公であったはずの亡き弟の話はほとんどしなかった。いやはや、申し訳ない。
14時頃に弟の車で送ってもらい、自宅へ戻ると、原稿の素材を整理して、大相撲のテレビ中継をチラ見しながら夕餉の支度。大関と横綱がバタバタと破れ、早くも今場所の主人公は白鵬と稀勢の里の二人に絞り込まれているような雰囲気。あとは照ノ富士が途中で故障再発しなければ、面白い展開にしてくれるかも。今場所は優勝争いの他に、宇良や北播磨など、小柄な力士たちの活躍が面白い。特に初幕内の北播磨がどこまで通じるかが愉しみだ。
晩飯後、一人でボンヤリと飲みたくて、通り町方面のバーへ。長めのカウンターと、程よく放ったらしてくれる接客と、よく分からないけど耳障りではないBGMが気に入っている。風雨に揺れる窓の外の街路樹の葉を眺めながら、弟の事を想いながら飲んだ。まるで、自分の命を自ら削るようだった彼が、死なずに済んだらどうなっていただろう。考えを巡らせてみたけど、アレでしょうがなかなったのかな、という落とし所に落ち着いてしまうことに、こっそり一人で驚いた。
人生に「もしも」なんかなくて、なんであれ、いずれ「そうなった」のかもれない。運命なんてのはあまり信じていないけど、自分で引き寄せてしまった「業」なのかもな。弟の心の中は分からないけど、「どうしたいんだ?」と訊いてもよかったかもしれない。そんな質問に素面で正面から答えてはくれなかったかもしれないけど。