不安な気分に染まっていく生活と、映画「マイ・プライベート・アイダホ」について
奥さまはクライアントが激減しているため今日はお休み。ここのところ、実質、週休3日になっている。さらに、午前中の半休もあるし、労働時間は平時の3分の2以下くらいにはなっているだろう。
これはもちろん新型コロナウイルスの影響で、今後、更に仕事が減る可能性がある。そうなると、事業所の経営が立ち行かなくなるだろうから、なんとか助成金などで持ちこたえられるとよいのだけど。
僕はといえば、記事のネタ探しに若干の苦労はあるけど、量的には減らないみたい。それどころか、なんとか現在の納品ペースを維持したいみたいなんで、担当さんと相談して、企画をひねり出さないといけない。
テレビはロケ番組やドラマけでなく、スタジオに大勢の人が集まるバラエティ番組も収録が難しくなっているそう。放送開始を延期すると発表したキー局が増えてきた。
そんなわけで、今夜も晩飯後は映画鑑賞。Netflixでガス・ヴァン・サント監督作品「マイ・プライベート・アイダホ」(原題:My Own Private Idaho)を観る。
1991年公開の作品なので、24歳で亡くなったリヴァー・フェニックスさんが主演で出ているし、共演のキアヌ・リーブスさんもお肌ツルツルの若さ。
男娼をして暮らしておる青年・マイクは、緊張すると突然意識を失ってしまう奇病・ナルコレプシー(居眠り病)で、普通に生活することさえ、なすすべを知らない。
後半は母親探しのロードムービーになっていて、いきなりイタリアに飛ぶのには驚いた。マイクは身体を売っているビジネス同性愛者ではなく、心から男性を求めている同性愛者であることを自覚し、愛を求めるが、無残にも捨てられてしまう。
救いがあるのか、ないのか? よくわからない作品ではある。観るものが考えろということなのだろう。ラストシーンで没になったカットを観ると(You Tubeで見られる)、ちょっとだけ救われたような、それでいて、何も救われていないような気分になってしまう。何が「have a nice day!」なのだろうか?