映画は観ることであり、体験すること。映画『1917』を観た
午前中は雨。いつもなら傘をさして野中町のスーパ「マルキョウ」ーの朝市に行くのだけど、最近は諏訪野町のスーパー「ザ・ビッグ」の野菜などがお安いので、無理していく必要はないと判断。その代わり、奥さまは明日の掃除を前倒し。僕は週明けの原稿用の資料をチェック。
雨は昼過ぎには雨は熄み、代わり風が冷たくなってきた。それでもバス代を節約すべく、奥さまは自転車に乗ってTジョイ久留米へ。サム・メンデス監督の新作『1917 命をかけた伝令』(原題:1917)を観た。
なるほど、これがアカデミー賞の大本命だったのか、と、納得の面白さ。映画は観るものであり、体験するものであると実感させられる。ワンショット風に見せる撮影技術に驚かされまくりでしたわ。
何度も、いろんなカタチで、いろんな状態で出てくる、木の幹は、命を繋ぐツリーの比喩なのだろうか。それを折り、断ち切る戦争は、人の命の繋がりを遮断するように。特に印象的に描かれた桜の木には、“死”と“再生”の意が込められているように感じた。
それにしても、最近の英国の戦争を描いた映画って、『ダンケルク』といい撤退をテーマにすることが増えているような。これって、世間のどういう風潮に影響を受けているのだろう?
帰宅して、晩酌したら、Amazon Primeで映画『ブラック・クランズマン』(題:BlacKkKlansman)を観る。黒人問題をスパイク・リー監督が描くと、こんな逆転の発想のエンタメなるのか。昨年のアカデミー賞作品『グリーンブック』と何が違うのか、ポツポツと考えてしまった。