あの日の夜は、

学生だった僕は某キー局の報道部でテロップを作るバイトをしていた。当日は夜のニュースが終わったら終了のシフトだった。
夕方のニュースが終わり、夜のニュースに向けて、小出しに出てくる原稿を打ち込んでいたと思う。そこに速報の原稿が飛び込んできた(wikipediaによると19時45分頃が第一報らしい)。
そう、それが日本航空123便墜落事故のニュース速報だった。
しばらくは生放送の番組内で随時情報を伝えられ、その間に報道フロアでは慌ただしくスタッフが特番の準備をしていた。僕はニュース速報用の文字入力機を使い、明らかになった被害者の名前を打ち込んでいた。日航から入ってきた客のデータだったせいか、カタカナの名前だった。
レギュラー番組『きょうの出来事』を終え、本来ならお役御免のところをスタッフが足りないため朝まで手伝うことに。
時間を追うごとに被害者の名前は少しずつ漢字が明らかになっていった。

午前中のシフトのスタッフが出社されるまで、ずっと寝ていなかったのに頭は冴えていた。そりゃあ、あんな事故を報道の現場を通して見ていたのだから、学生の僕には衝撃的過ぎた。
麹町の駅に向かう頃はさすがに頭がボンヤリしてきて、缶コーヒーを飲んだ記憶がある。

雨の御巣鷹、祈り新たに 日航機墜落から29年」(朝日新聞