会話術の喪失という老化について

朝からショコショコと原稿書き。13時過ぎに1本目を書き上げたあと、少し昼寝して、目が覚めたら、頭部にずいぶんと汗をかいていて、室温計を見たら作業部屋が32.5度になっていた。

拭っても拭っても汗が吹き出てくる以外は、僕としては大丈夫なのだれど、いずれ、PCが熱暴走しそうで怖い。Mac miniのときに比べれば、今のWinのノートPCは熱に強く、危うさは感じないけど、長く使うのならば、無理はさせないほうが良いのかもしれない。

夕方、2本目の原稿を書き上げたら、日が傾いてきたので、散歩ついでに小頭町の角打ちへ。長年の常連の老紳士がやってきて、店のお姉さんから邪険にされるのを眺めつつ、芋焼酎ソーダ割り。

僕が店に行き始めた頃は、自分のことしか話そうとせず、人の話は聞かないものの、会話は成立していた。しかし、2度の病に倒れ、80歳を過ぎた今、話のキャッチボールどころか、意思の疎通さえ危うくなってきている。

これが老化というもので、コミュニケーション能力の喪失なのだろう。彼が喋っても無視を決める、周りの反応を見ていると、老いの現実を思い知らされるが、そのうえで、反面教師として、(勝手に)その姿を見届けようと思っている。