経験によって見えてくることがあることと、改めて観た「まどか☆マギカ」について

奥さまの体調は一時、37.4度まで上がったけど、それは無理して掃除なんかやったせいで、駄目だと大人しく寝させたら36度台まで下がった。どうやら、最近の大きな気温差で風邪を引いたみたい。

でも、今回のCOVID-19感染を疑って、感染を避ける行動をとったことで分かったことは、症状が出るまでの潜伏期間や、微熱の小康状態のことを考えたら、気をつける頃には既にウイルスを貰っているであろうということ。家族レベルで感染を避けるってことは、よっぽどの大きなお屋敷じゃなかったら無理ゲーだ。

仮に奥さまが実は感染していて、軽い症状で済んでいただけで、貰った僕が明日あたり症状が出ることだってあるんだから、本当に油断できない。検査や診察のことを考えると、諸々と悩ましい流行り病だ。

晩飯後、Amazon Primeでアニメ「マギアレコード 魔法少女まどか☆マギカ外伝 Final SEASON -浅き夢の暁」の全4話を観た勢いで、2013年に新百合ヶ丘で観た「劇場版 魔法少女まどか☆マギカ [新編] 叛逆の物語」を観直してみた。

当時、暁美ほむらの行動を理解しようにもついていけず、戸惑いつつ愉しんだ記憶は薄っすらあったけど、冒頭からかなりのエピソードを忘れていて、本当に観たことあったのか自分を疑うほど。

でも、観終わってみると、初観のときは、ほむらの行動に引っ張られすぎて、巴マミ百江なぎさを含む)と美樹さやか、そして佐倉杏子の想いまで把握できてなかったことに気づいた。亡き者、残されたもの、それぞれに役割があったんですね。

映画だけじゃなく、漫画や小説もそうだけど、体験し直してみると、新たに見えてくるものがあって、人生、どんだけ時間があっても足りない。