大学病院の待合室で座っていると自身の未来が透けて見えて震える

今日は朝から母の大学病院通いの付添い。早めにストレッチと家事を済ませて、駅で待ち合わせ。病院直行のバスが空いていてよかったけど、注射の段取りがいつもと違っていたせいか、最後にいつもよりう余計に待たされてしまった。

母が検査を受けている間、ぼんやりと待合室の様子を眺める。患者さんのほとんどがご老人で、杖をついたり、足元がおぼつかないうえ、少しボケが入られているのは、家族に叱咤されながら歩いている人も。

子なし夫婦の僕たちは、老いて弱ったらどうなるのだろう。1人残ってからボケが始まっても、 誰も気づいてはくれない。公的なサービスにアクセスできるよう、弱る前から手続きしないと、社会の隅っこで弱っていくことになる。

これから、10年、20年。自身の老いていく姿を想像すると震えることがある。なるべく自分のことは自分でできるようにしたいけど、膝や腰、ましてや頭が弱ったら、どうしよう。ボケた頭で自分さえも理解できなくなる、そんな未来を想像しながら、待合室のソファに座っていた。

帰宅後、次の原稿用の素材をチェックしたり、担当さんに問い合わせのメールを送ったり。夕餉の支度するまえに、Amazon Primeでアニメ「BLUE REFLECTION RAY/澪」のラスト2話を観る。

少女たちの苦悩と希望、自己否定と自己認証による戦い描かれ、深層心理に入り込む、面白い作品だった。

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