彼女が“そのにいる”世界を作り上げるということ、映画「劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン」を観た

仕事を終え、ファーストデー割引を利用してTジョイシネマで京都アニメーションの「劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン」を観に行く。あの忌まわしく悲惨な事件やCOVID19があり、封切りが遅れていたので待望の鑑賞となった。テレビ版は後追いで、Netflixで観たんですけどね。

ヴァイオレットと少佐の物語でありながら、親子、兄弟、友達の物語で、謝罪と赦しが軸になる。ヴァイオレットの手紙が彼、彼女らを癒やし、ヴァイオレットは彼、彼女らと関わることで、成長し、癒やされる。

ヴァイオレットの物語をきっちりを完結させたうえで、彼女がいた世界をしっかり作り上げ、観客の胸の中でヴァイオレット・エヴァーガーデンという人物をずっと存在させることに成功したんじゃないでしょうか。これこそが架空の物語を創造することの素晴らしさなのかも。

テレビ版はジワジワと涙腺を攻めてきてたけど、劇場版はけっこう真正面から攻めてきてて、オッサンの涙腺はまいっちんぐでした。

 

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帰宅後、ハイボールを舐めながら、Amazon Primeで1931年の古典ホラー映画「フランケンシュタイン」を観る。最近、Amazon PrimeNetflixで観られるようになった、エル・ファニングさん主演の映画「メアリーの総て」の予習というか確認です。

子供の頃に観た記憶とは、けっこう違っていて(ちゃんと通してみたのは今回が初めてですしね)、血肉飛び散る物理的な恐怖ではなく、観客の心理に入り込んでくる怖さでしたね。事あるごとにフランケンシュタインが“想像された時代”、かつ、“創造された世界”の恐ろしさがぶり返してくる感じ。モヤモヤに囚われてしまった感じというか。

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