永遠の命にとって思い出は脅威なのかもしれない、映画『KUBO/クボ 二本の弦の秘密』を観て思ったこと

仕事休みの奥様に合わせて、いつもより遅めに起床して、洗濯しつつルンバの掃除を見守る。午後は奥さまは歯医者に行っている間に、明日納品分の原稿のテーマについて調べ物。どうやら、思っていたのとは違う切り口で書いたほうが面白くなりそう。

晩飯後、WOWOWで録画しといた映画『KUBO/クボ 二本の弦の秘密』を観る。封建時代の日本にした、不思議な力を持つ少年・クボの物語。素晴らしく美しい映像なんだけど、キャラクターが3Dストップモーション・アニメーションで描かれていることに驚く。

この物語は人の記憶が鍵になっていて、クライマックスのラスボス的存在の祖父(月の帝)との闘いでは、村の住民を巻き込んで立ち向かうシーンでは強靭な武器にもなる。

月の帝がクボを引き入れようとしていた世界は、どうやら『かぐや姫』の月世界のダークサイドみたいな意味を持つようで、“死”という概念がなく、闘いの中で、月の帝は人間の老死にとらわれていると憐れむ。しかし、クボが彼を倒したのは、劇中でRGP的に集められてた、最強の三種の武具ではなく、村の住民たちと亡くなった家族との思い出と、クボ自身の亡き父母との思い出、つまり愛する亡人との記憶だった。

これって、どういう仕組みなのかって思ったけど、死なないってことは永遠と記憶が蓄積されるってことで、それって、一見、素晴らしそうだけど、すっごく苦痛というか、恐怖になってしまうんじゃないかって思った。僕なら記憶に押しつぶされてしまうし、脳みそがお腹いっぱいになって、破壊されてしまうかもしれない。

限りある命だから記憶と寄り添うことができる。一方、延々の命を持つ者には記憶は驚異となる、なんて。

思い出という力に月の帝は破れ、記憶を失った老人になってしまうのだけど、それは敗北ではなく、我が孫からの救済を受けたとも言えるのかもしれない。


『KUBO/クボ 二本の弦の秘密』本予告  11月18日(土)新宿バルト9ほか全国ロードショー