会話という情報と想いのキャッチボールについて

知人のFBの投稿がちょいと興味のあるジャンルだったので、それに関係したコメントをしたものの、しばらくして消去してしまう、ってことが何度かある。

その理由は、「こういうのもありますよね」とか「僕はこういうのも好きです」っていう、一見、話を膨らませたような内容だけど、読み返してみると、身勝手というか、単なる自己アピールみたいになっていて、送られた方はどう反応していいか、困ってしまうのでは、なんて思ってしまうから。

普段の会話でも、一方通行になってしまいがちな、単なる情報を放り投げたような話し方をすることがあって、相手の顔が見えないネット上だと、さらにそうなりがち。読み直してみて、恥ずかしくなってしまう。

酒場などで飲んでいて、近くの席で話している客たちも、そんな一方通行な会話をしてることに気づくことがあって、特に(偏見かもしれないけど)高齢な男性客であることが多い。

まぁ、お互いに言いたいことを言って、それで満足して帰っていかれてるみたいなんで、それで問題ないのかもしれないけど、近くで聞いていると、そこはかとない虚しさを感じてしまう。だって、自分が言ったことが相手になーんにも刺さってないんですよ。

会話のキャッチボールは難しい。さらに複数名で会話を回すのはもっと難しい。ロックバーでバーテンをやっていた頃は、それをどうやって上手くやるか、試行錯誤していたような気がする。

なんてことを、TBSラジオの荻上チキさんの番組に、文化放送から局の垣根を超えたゲスト出演していた、大竹まことさんのトークを聴きながら思った次第です。やはり、プロってスゴいですね。