で、君はどう生きる? と監督に問いかけられる映画『家族を想うとき』を観た

奥さまと年末の買い物をするため、西鉄電車に乗って天神へ。その前にKBCシネマでケン・ローチ監督の新作『家族を想うとき』(原題:Sorry We Missed You←宅配事業者の不在票“宅ご不在につき失礼”を意)を観ることに。

父親が契約の宅配ドライバーとして働くと決めたことから始まる、ある家族の崩壊の物語。仲の良かったはずの家族が、両親の長時間労働による触れ合いの喪失から、ガタガタと悪い方向に突き進んでいく。

ラストシーンを迎え、冒頭のから介護士の妻が夫の転職のために車を手放してしまったことから始まる、「もし、アレをやっていなければ……」という、(ある意味間違った家族愛による)“失敗”が積み重ねられていくのを思い返し、崩壊のネジが巻かれていく切なさでが苦しくなる。

それは、是枝裕和監督の『万引き家族』が、別の形での家族の崩壊(もしくは分裂、別れ)に向けて、「そうなるのはしかたがないよね、そうなるべきだったのかもね」と、納得させながら(ある意味間違った他者への)“思いやり”が積み重ねられていくのとは、逆方向にネジが巻かれていくようなイメージ。

この表裏一体のような2作品に加え、年明けにはポン・ジュノ監督の『パラサイト』が公開される。こちらも、のっぴきならないよな家族が描かれるみたいなんで、ワクワクせずにはいられないのです。

あと、些末なことかもしれないけど、お金ないのに、なんで家族全員が中華スマホじゃなくてiPhoneなのかが気になった。こだわりや執着、プライドは心を守ってくれることもあるけど、暮らしぶりが落ちつつあるときは、家庭を壊していく要因にもなりうるのに。


名匠ケン・ローチの新作『家族を想うとき』予告編