自分と正面切って向かい合うことの厳しさ、映画『ナチュラルウーマン』を観た

出かけるときは半袖Tシャツじゃないと、汗だくになってしまうほどの暑さ。それでも、室内にいれば吹き込んでくる風が涼しく、扇風機があれば十分。

そんな中、ルンバの掃除を見守ったり、次の原稿用の資料をチェックしたり。どれも内容が緩めで、カタチにするのに苦労しそうな予感。

晩飯後、奥さまとAmazon Primeで映画『ナチュラルウーマン』(原題:Una mujer fantástica、英語だと、A Fantastic Woman)を観る。

チリのサンティアゴが舞台で、ウェイトレスをしながらナイトクラブのシンガーとして歌っている、トランスジェンダーのマリーナは突然、パートナーを亡くしてしまう。すると、彼の家族たち、警察から酷い差別を受け、排除しようとされ、葬儀にも参加することが出来ないっていう展開。

そこで、差別や偏見と戦い、自分の生き方を掴んでいくってお話かと思いきや、マリーナは偏見に満ちた侮蔑を受けるばかり。最終的に妄想のようなシーンから、少し救われる展開になったけど、思わせぶりなエピソードが、思わせぶりなままで終わってしまうなど、なんどかほわっとしたまま終わっていく。

ただ、マリーナが弱いというわけでなく、しっかりと自分を見据えた目をしていて、それは鏡を使って表現されている。鏡に映るマリーナはしっかり自分と正対していて、傷ついても、疲れ果てていても、屈辱的な姿にされても怯まず、しっかりと自分を見据えている。

対して、パートナーの元妻など、他の人々の鏡に映る姿は横顔だったり写り込んでなかったりで、自分を見ていない。つまり、現実を直視せず、自分に都合の良いことしか見ない。この違いがマリーナの真の美しさ、強さを表してくれたような気がするし、映画では描かれていないところで、差別や偏見にマリーナが自身の言葉や行動で対抗していたと想像させる。

これからも表面的な生きづらさは変わらないけど、歌によってマリーナは立ち上がることが出来る。素晴らしい存在になれるかもしれない。


映画『ナチュラルウーマン』予告

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