絶対的な正しさなんかないという絶望と救い、映画『ビューティフル・ボーイ』を観た

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洗濯を2回分やっつけて、スーパーの朝市で今週分の食材などをまとめ買いして、昼飯に蕎麦を作って食べたら、奥さまと西鉄に乗って天神へ。2週連続で映画を観に行く。今回は中洲大洋映画劇場でスティーヴ・カレルさんとティモシー・シャラメさん主演の映画『ビューティフル・ボーイ』。ベルギー人の監督のフェリックス・ヴァン・フルーニンゲンさんの作品は初めて。

薬物中毒の青年・ニックと、そこからなんとか立ち直らせようとする家族の物語。父親と母親、義理の母も、小さな弟や妹も彼を愛しているし、救いたいと思っている。でも、それは、どうしてニックが薬物に手を出してしまったのか、根本的なところまで、すくい取れていない。それぞれが正しいと思う方法でニックに立ち向かうけど、正しさなんて、それぞれが独善的で、ニックの心に開いた穴を埋めることはできない。

なぜか?

誰もニックの弱さに立ち向かっていないからだ。特に父親は彼が幼い頃から「すべて(Everything)」という言葉を使って、息子への愛を表現しようとする。しかし、その「すべて」って、父親目線の「素晴らしき息子」の「すべて」であって、現実世界での生きづらさを抱えた、息子の不安や葛藤を見ていない。弱かったり、ダメだったりするのも、ニックなのに。

どうやってニックが現実世界で生きづらくなったかは、作品中にはっきりとは描かれていない。でも、両親の離婚、父親の再婚、新しい母との間にできた幼い弟と妹。彼らにとって良き人であろうとする、ニックの正しさがアダになったことは想像できる。

さらに、家族以外でも、不特定多数の人を相手に良き人であることが、ニックにとってツライことであるのは、大学で出会ったガールフレンドの実家に招かれたシーンで察することができる。彼女の家族たちと食事を囲んでいるとき、普通の団らんの中にいるニックの表情は落ち着きがなく、トイレを借りるという口実でその場を抜け出すと、洗面台に置いてある薬の瓶に手を出してしまう。たぶん、鎮痛剤か安定剤なんでしょうけど、明らかに服用する量が多すぎる。

あと、たぶん隠喩が込められている思われるのが、画家である義理の母がずっと描いている絵で、大きなキャンバスいっぱいに目玉が描かれている。これこそが、ニックを追い込んでいる現実世界を表現するものなのだろう。どうして義理の母がこんなモチーフの絵を画いているのかは、わからないけど、冒頭から後半まで数回出てくるので、なにかしらの意図があると思う。


薬物依存に関しては、TBSラジオの『たまむすび』界隈でいろいろと考えさせられている。薬物依存から完全に立ち直ることなんてできなくて、ずーっとヤク断ちのために最新の注意を払わないといけないのだ。本人も、周りの人もね。この映画の父子もね。

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映画の途中、いい感じのシーンで、Neil Youngの『Heart of Gold』が流れて、もしかしたら、ここから良い方向に行くかと思ったら、またニックは堕ちていった。生きがいを求めた鉱夫の歌なんで、ニックも何かしらの輝く道筋が見つかると良かったんですが、甘かったです