言葉を失うほど切なくて色彩鮮やかな映画『フロリダ・プロジェクト』を観た

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昨日と同様、曇天と思わせといて霧雨が降る朝。朝ご飯に玉子サンドを作って食べて、洗濯して、スーパー「マルキョウ」の朝市で今週分の食材を買い出しして(道路の冠水などによる交通網へ影響で、品切れの商品がいくつかあった)、安住アナのラジオを聴いて、昼飯にコロッケうどんを作って食べたら、西鉄バスに乗ってTジョイ久留米へ。
昨日、東合川地区の筑後川の支流が決壊し、泥水が道路に溢れていたので、20分ほど早めに出たら、案の定、渋滞になっていたりで正解。大きな道路や店舗の前などは泥水を流し出してあったけど、人通りの少ない通りにはまだ泥が残っていた。3月に閉店したうどん店を周辺は、しばらく放置されてしまうのだろうか。


映画『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法』(原題:The Florida Project)は生活力、社会性に欠けた母親と、6歳の娘のひと夏のお話。なんといっても、子役たちの演技が素晴らしく、主人公のムーニーちゃんを演じるブルックリン・プリンスさん、その友人たちの元気すぎる下品さに圧倒される。また、母親役のブリア・ヴィネイトさんも、初めての演技とは思えない生々しさで、剥き出しの感情表現が、けっして正しいことをしているわけではないのに、愛しく感じてしまう。
また、35mmのコダクロームフイルムで撮られた映像の色彩が鮮やかで、貧困な生活なのに夢の世界にいるような錯覚を覚える。そう、すぐ近くにあるディズニーランドの裏返しのような。
それは、ラストシーンの彼女たちの行動が、どうしようもない状況に陥ってしまったとき、アソコへ行けば世界をひっくり返せるんじゃないかと望みをかけたように。それもまた、錯覚であることが、切ないのだけど……
終劇後、言葉を失ってしまう、胸に迫る映画体験でした。

あと、管理人役のウィリアム・デフォーさんが、モーテルの敷地内に入ってきた3羽の鶴を追い返すシーン。なんかの隠喩のような気がするのだけど、分からないんだよなー。


5/12(土)公開『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法』本予告

 

追記07.09)
ショーン・ベイカー監督が鶴のシーンに言及している記事があった

子どもの明るさと貧困の鮮烈なコントラストを描く、『フロリダ・プロジェクト』ショーン・ベイカー監督インタビュー」(ハフィントンポスト)より

――映画の中のあるシーンにお聞きします。大きな鶴がモーテルにやってくるシーンがありますね。あのシーンは脚本段階ですでに想定していたんですか。
イカー:あの鶴は元々、モーテルの敷地内に住み着いてしまっていたんです。毎朝7時くらいになると、クチバシでガラス戸をコツコツ叩いて餌をねだりにくるんです。モーテルの受付けの人たちがいつもジャンクフードを与えていましたね。それを見ていて、ウィレム・デフォーと同じようなシーンを撮れないかなと思って急遽撮影することにしました。色々な制約があって、一発勝負にならざるを得なかくて、台詞も用意せずに撮りました。ウィレムにはとにかくあそこに行って戻ってきてくれとだけ指示しました。「No harm, no fowl〜」のジョークも全て彼の思いつきです。
――物語全体においては、必要ないシーンとも言えます。そこまでしてなぜあのシーンをなぜ採用したのでしょうか。
イカー:そうなんですが、この作品は私にとって人生の一瞬を切り取ったもの、あるいはエピソードであって、観客にもマジックキャッスルでひと夏を過ごしたような気持ちになってほしかったんです。
 人生はいつだって、映画の脚本のように綺麗な三幕構成になっていませんし、起承転結もなく、もっとゆらゆらとした感じでしょう? あの鶴のシーン以外もそういう理由で採用しているし、全体の構成もそうなるよう断片的な構成になっています。

なるへそ!